飛島村

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概要・歴史

津金文左衛門

津金文左衛門

津金文左衛門は、1727年に今の名古屋市東区平田町に生まれたと言われています。彼は父が早くに亡くなったため、早くから家を継ぎ、武術はもとより、漢字、経済、土木などの実学を学び、尾張藩の要職を務め続けました。彼は、熱田奉行兼船奉行になると、新たな土地を生むことで、当時の藩の財源と農民の生活の糧を得ることができる新田開発に着目しました。

一口に新田開発と言っても、その当時の尾張地方は、すでに水の便の良い恵まれた耕作地でした。これ以上耕作地を広げるには海に目を向けるしかありませんでした。当時伊勢湾の沿岸の浅瀬は規模が大きく、新田開発には好条件でしたが、現代の技術をもってしても莫大な費用と時間を要する新田開発は、当時の技術や政府(藩)の財政からみて困難を極めることは予想できました。

それでも彼は当時の尾張藩主宗睦の英断を得て、飛島新田の開発を実行に移しました。開発前のこの地は、大きく見れば木曽川の三角洲、細かく見れば日光、善太、蟹江、戸田などの諸川が土砂を流し、文字通り飛び島になっていたが、この外側に提を築き、川の泥でかさ上げをして耕地を作るという計画でした。工事は予想どおり困難を極めました。工事の途中に暴風雨が来れば堤防は決壊し、最初からやり直すこともたびたびありましたが、そんな中で1801年に767ヘクタールの大規模な飛島新田が完成しました。そして彼は、この新田開発を最後まで見守るように、工事が完了した同年12月にこの世を去りました。

また、彼は磁器の祖としても知られ、当時瀬戸から新田開発に来ていた陶工に窯業について研究させ、現在の愛知県の窯業の基礎を築きました。

明治33年飛島新田開発百年祭を営むにあたり、元松神明社に彼の碑を建て、偉業をたたえるとともに、現在でも彼の遺品は飛島村中央公民館に大切に保管してあります。